友人関係に悩むあなたへ

【永い間自分は真の朋友を求めて居ったが、其理想的の朋友は仏陀であると云うことが解つた】

by 近角常観 『懺悔録』p28-29より


・・・・・

大正教養主義の時代に学生たちに仏教を説き、彼らの人格形成に寄与した代表的人物

その教え子をあげれば、田辺元平塚らいてう岩波茂雄三木清、伊藤左千夫、麻生太吉……etc

分野を問わず、性別を問わず、知識人に慕われた宗教者が居ました。


それが近角常観です。

近代仏教と青年――近角常観とその時代

近代仏教と青年――近角常観とその時代

・・・・・

その近角は友人関係に悩み、苦しみました。

その煩悶のなかで近角自信が感じ入ったのが上記の言葉でした。

・・・・・

〈他者に認められようとする自分がいて、認められずに不満に思う自分がいる。

その不満に思う自分と向き合うと自分自身を信じられなくなる。〉


人間関係で悩んだとき、それを丁寧に紐解いていくと上記のような自己への不信が根本問題にある……といった経験ある方も多いと思います。(すくなくとも僕は当てはまるコトばかりです(--;))


近角の苦悩もそこにがあり、宗教哲学者、岩田文昭は著書のなかで

常観の煩悶を、現代の一般的な表現に言い換えれば、「理想のあるべき自己」と「現実の自己」との間の葛藤だといえよう。 (『近代仏教と青年』p40)

と指摘しています。


人間関係の悩みは本質的には〈自己そのものを問う悩み〉である、といえるかもしれません。

多くの場合、その問いをうやむやにして胸に仕舞って自分と他人の折り合い点を見つけてうまく生きている、というのが現代人なのではないかと思います。


しかし折り合いをつけるとは別次元に、「わたしはわたしでいいのだ」という世界に私たちは確かに生きているのです。そのことに頭が下がることこそ、仏陀を朋友とする、ということなのだと思います。


豊かさを追い求め、時間と効率に追われ、競争にさらされる現代社会は自己自信を見失う危険性をはらんでいます。その事すらもわからないかもしれない。
そんな今だからこそ、自己を問い続けてきた親鸞の教えが大切なのだと思います。




われわれはそのままでいい世界に生きているのです。


・・・・・


今日も読んでくれてありがとう!